Shigeko Hirakawa


『光合成の木、Tokyo 2009』 Artist Fileカタログ No.10 
(国立新美術館出版 2009)

《空気が危ない?》― われわれを囚にする環境


冷たいコンクリートの床が真夏の熱を吸い取る私のアトリエでは、それほどの暑さを感じずに暮らしていたが、フランスは 2003年、未曾有の熱波が全土を襲い、非公式な数字ではあるが1万人以上の死者をだすという事態がおきた。暑い夏に慣れている国の人間は、「熱波で1万 人もの死者?」と不思議に思うだろう。フランスが、もともと緯度が高い国であるし、夏でも石の建物の中に入れば涼しく生活できたという風土が、暑さへの備 えを怠らせたのだろうという人もいるだろう。実際は、確かにこの風土ゆえに、デパートにもまた電気屋にも、暑さを緩和すべきエアコンディショナーや扇風機 といった家電類は伝統的に一切存在せず、したがって誰も手に入れることができず、またマーケットに導入しようとするものもいなかったのである。ひとつの夏 が現代社会でこれだけの犠牲者をだした本当の原因は、突然の異常気象が習慣的な社会環境、特にフランスという特殊な社会のかたちから、人間を強引に引き剥 がしたことによるものではなかったか。

大気汚染や異常気象、酸性雨などの環境問題は、身の回りの大きな話題のひとつにちがいなかったが、それまで、自分の作品に 導入するコンセプトとして考えることはしなかった。長い活動のあいだには、自然の中の要素を作品の素材として利用する機会もあり、また野外で仕事をすると きには、嵐に出会わないほうが稀なくらいで、作品の制作には気象に対応する条件を必ず加味しなければならなかったにもかかわらず、である。しかしこの夏、 異常気象がこのような特殊な形で、密封された社会のシステムの中に閉じ込められているわれわれの脆弱さを浮き彫りにするのを目の当たりにした。このこと が、おおきく私の意識の向きを変える要因のひとつとなったもののようである。

《空気が危ない?》プロジェクト

それまで、水、色、植物、空気といった地球の要素について、これらの膨大なテーマを端から少しずつ糸をほぐし出すようにし て作品を発展させてきたが、これらの要素が一挙に収斂するような契機がおとずれた。 異常な熱波が訪れた2003年、「町と森林」という新しいテーマからプロジェクトをあみだそうとしていたときのことである。提示された現場が、自然林に近 いぼうぼうとした広大な林であるのを知って、町に住む私自身、森林についての知識をあまりもちあわせていないことに気がついた。日常われわれの眼に触れる 街中の植物は、人間の手入れがゆきとどいた人工物といってもいい。

町の生活からおよそほど遠い森林について、あらためて情報を集めはじめたとき、ヨーロッパ連合が1996年に発表したとい う『欧州の森林への大気汚染の影響の観測と査定に関する国際プログラム、および大気汚染から森林を守る欧州連合プログラム』と題された文書に遭遇したので ある。 1970〜80年代、酸性雨の被害をきっかけに、人間社会がもたらす大気汚染が自然にどのような影響を及ぼしているかについて、EUはヨーロッパの何千と いう地点で森林の観測を開始したのであるが、その集計であるというこの報告書によれば、「ヨーロッパの森林の四分の一の木々が25%の枝の枯死に病み、十 分の一の木々の10%は、脱色している」というのである。つまり大気汚染が、人間の健康のみならず、森林のエコシステムを相当に侵しているというのだ。

植物が酸素を作り出すことはよく知られている。ここで私が注目したのは、「森林が脱色を病んで、緑色が褪せはじめている」 という事実であった。この世界には色があり、生きた色には役割がある。私は、白いキャンバスに色を定着することよりも、世界に存在する生きた色に興味を覚 え、世界の色を取り去るとその下からいったい何が見えてくるのか、捜しつづける仕事をながいあいだ手がけた。そのことも、この事実に興味を引かれたことの 要因であったにちがいない。ここでいう森林の脱色とは、植物が葉緑素を失いつつあるということだろう。大気汚染は、さらに葉緑素の生成を阻み、あるいは破 壊しているということなのか。

葉緑素は緑の色素で、この色素こそ、植物が取り込んだ水と二酸化炭素を太陽エネルギーの助けをかりて植物自身の栄養となる グルコースに変えると同時に、われわれの酸素を作って吐き出す働きをする主要の物質である。つまり、「葉緑素が少なくなれば、酸素が少なくなる」のであ る。まだ10%の葉緑素の減少はわずかすぎて目に見えないかもしれないが、われわれが、いつもの緑の森林が緑ではなくなってきていることに気づいたとき は、すでに手遅れの状態なのかもしれないではないか。われわれの眼に色褪せた森林が見えるとき、「空気の危機の警鐘」が鳴らされていることを知るのであろ う。

葉緑素は、酸素を運ぶ血液中の赤血球とよく似ているという。したがって葉緑素は地球の赤血球ともいうことができる。再生能 力を失い始めた病んだ地球へ、「もう一度、色を着けなおして、森林を救済しよう」という、自己のなかに人間として自然にわきあがる良心に直截にこたえ、私 の仕事の中では初めての、環境を強く意識したエコロジックなプロジェクトの構想へと全霊を傾けることになった。こうして生まれたのが、《空気が危ない?》 プロジェクトである。

《空気が危ない?》プロジェクトは、1. 森林にもう一度色を着けなおし、葉緑素が中心物質となってする光合成を視覚化す る《光合成の木》、2. 光合成を促進するエネルギーである太陽光線の動力を形にした《風車》、3. 太陽光線がエネルギーとなって光合成が作り出す《酸 素分子》という三つの要素を中心としてたちあがることとなった。

光合成の木

国立新美術館で紹介する《光合成の木》は、《空気が危ない?》プロジェクトの中心エレメントとも言うべきもので、太陽光線 に反応して色を着けるフォトクロミック・ピグメントを混入した何千というプラスチック円盤が、失われた葉緑素に代わって光合成を視覚的に再現するものであ る。

円盤に混ぜられたフォトクロミック・ピグメントは緑ではなく紫である。緑の補色の強烈な紫なのは、失われていく葉緑素の危 急を最大限に伝える意図をあたえたかったからだ。フォトクロミック・ピグメントを混入した円盤の葉は、太陽のUV光線の量に敏感に反応し、太陽の出ている あいだは紫色になり、太陽が沈んだ夜は乳白色になる。白い葉をつけた木は、さながらゴースト・ツリーという様相になるだろう。

太陽の出ているあいだは紫、夜になると白い葉になって木々の「光合成」を毎日再現してみせる作品《光合成の木》は、構想か ら二年半後の2006年秋に、フランス、アルジャントゥイユ市の理解と支援ではじめて実現した。毎日の天候の変化で微妙に色を変化させる円盤が人の目をひ きつけ、大勢の通りすがりの人々が展覧会の二ヶ月のあいだ円盤の葉を眺めることになった。こうして彼らが円盤を眺めることによって、実は木そのものの変容 をともに眺めてすごしたことに気づいてくれたとしたら、この作品は、それだけで存在価値を示したことになるだろう。 

2003年夏の欧州の熱波は、人間の犠牲者を出しただけではない。自然も被害を蒙っているのだという。この夏の異常な熱に 晒された森林は、光合成をするために二酸化炭素を取り込むはずなのに、吸い込んだ二酸化炭素をそのまま再び吐き出してしまうらしい。地球の温暖化による異 常気象が、温暖効果ガスを浄化してくれるはずの自然の能力を狂わせているということなのだ。こうした事実は、われわれが二重三重の「空気の危機」のなかに いることを思わせはしないか。

自然と自然の変化を絶えず観測する人間の態度だけが、これからわれわれがすべきことを教えてくれるのに違いない。そうして みると、《空気が危ない ?》プロジェクトは、さらに発展していく運命にあるということができるようだ。 



  2009年1月、
平川 滋子